p_ケントモリ
ダンサー
ケントモリ

昭和60年、愛知県に生まれる。平成18年に単身渡米し、翌年にはプロダンサーとしてエージェント契約を果たして本格的に活動を始める。平成20年にはアーティストビザを取得し、NBAハーフタイムショーでのパフォーマンスやマドンナのワールドツアーダンサーに抜擢され、世界中を周る。平成21年にはマイケル・ジャクソン専属のダンサーに選ばれ、2年契約を交わすもマドンナとの契約中という理由で断念。マドンナのワールドツアーの中で、マイケル・ジャクソンの曲を踊って会場を盛り上がらせた。

僕の人生を変えたのは、マイケルだ

Billie Jeanを中学一年生の時に聞きました。それが全ての始まりでした。決して大袈裟な表現ではなく、僕の人生はそこで大きく変わったんです。
曲が流れ始めると、僕はジっとしていられなくなりました。体が勝手に動きだすんです。
それからはマイケルの虜になりました。彼の音楽がこうも僕をアツくさせる理由は分からなかったけど、とにかくマイケルにのめり込みました。
僕の中で、自然と「マイケルと踊りたい」っていう夢・・いや、夢っていうよりも、目標を持つようになりました。その時の自分が考えうる「最高」をイメージした時、マイケルと踊ることこそが、当時の僕にとっての「最高」だったんです。
とにかく、彼がいなければ僕が今こうしてここで喋っていることはないと断言できます。

ケントモリサブ

19歳、ケントモリの決意

ダンスの本場であるアメリカを訪れたのは自然な流れでした。やりたいことは自分自身で決める性格で、服だって周りの目を気しないで自分が着たいものを着ていました。だから、ダンスがやりたいという理由で渡米することは僕の中では特に大きな決断ではなく、自然なことでした。
厳しい環境でしたが、ストレスはありませんでした。オーディションは多かったですが、その中から自分なりに選び、そこで最大限のパフォーマンスをすることに集中していました。
渡米して2年。一つの大きなチャンスに巡り会いました。マドンナのワールドツアーで踊るダンサーオーディションに合格したことです。

僕の中にある「何か」を見出してくれて合格をいただけたとは思うのですが、その時の僕は、「何人かいるうちのダンサー」ではなく、「ケントモリ」っていう唯一無二のダンサーとして認められたいという気持ちが大きかったんです。自分自身を証明したかったんですね。それが叶った大きなチャンスでした。
その後、マイケルのツアーオーディションに参加してありがたいことに合格を頂くことができました。今でも自身を持って言えますが、書類審査で応募した3万人以上の中でも僕の一番想いが強かったと思います。
オーディションに参加し、そしてその中で最終選考に残るダンサーは全員、マイケルを尊敬し、愛してやまない人達ばかりだと思います。それでも、僕の想いが一番強かったと思っています。合格した瞬間は、今でも僕の心で輝く最高の思い出ですし、忘れるわけがありません。

ケントモリサブ2心が叫ぶように、踊っていた

結局、マドンナとの契約期間中ということもあり、マイケルと踊ることは叶いませんでした。しかしマイケルの死後、マドンナから「私のステージでマイケルの曲を踊って欲しい」と言われたんです。リスペクトする2人に見守られながら自分のダンスが出来る。こんな幸せな出来事、後にも先にもありませんよ。
もうあの時はとにかく無我夢中で踊りました。僕自身、踊っている時にどんなことを考えていたのか全く覚えていません。歓声が大きすぎて、無音にも聞こえるくらいの幻想的なステージの上で叫ぶようにして踊っていたことだけは覚えています。
あのステージに立って以来考えていたのですが、あの場所に立てたのは僕の想いが色んなところと繋がって起きた奇跡だと思うんです。

今の僕がただ一つだけ言えることは、中学生で初めてマイケルを聴いたあの時から、僕は「本気」であの場所を目指してそれに向かって努力したということです。本気で命を懸けたし、どんな苦労も厭いませんでした。
様々な経験の中で感じたことは、やはり一流と言われる人たちは自分が勝負をかけたことに対して死んでも言い訳をしませんね。その言葉通り、命をかけて自分の想いを貫きます。
一生に一回きりの自分の人生、やりたいことを全力でやりたいですし、それに対して常に一生懸命でいたいと思っています。これからも、ずっと。