p_小松美羽
画家
小松美羽

昭和59年、長野県坂城町で生まれる。女子美術大学短期大学部を卒業する。その端整な顔立ちから「美しすぎる銅版画家」と呼ばれる。平成24年には個展「神ねずみと唐ねこさま」や「小松美羽作品展 画家の原点回帰 ~ウガンダ~」を開催する。トヨタと地域のテレビ局が共同するプロジェクト「ニッポン コレカラ プロジェクト」(http://www.corolla-korekara.com/)ではコレカラパーソンの長野県代表として活躍。

 

「美しすぎる」っていう言葉がつくのはいいことではないですね。自分のビジュアルと自分が作る作品には何の関係性もありませんからね。作品は私が努力して自分で培ってきたもので、容姿は人が見るもので私自身はあんまり鏡も見ませんし。それなのにこういった表現が使われるのは、私がまだ一人前になれてないから払拭できないだけだと思っています。私の責任ですね。私が今よりもしっかりとした位置に行くことができれば、自然に消えるものじゃないですか。だからとことんやるしかないと思っています。 私にとって「美」という文字は、名前にも入っていることもあって子供の頃から身近にありましたね。それでも「美しすぎる」っていう表現は好きにはなれませんけど。でもやっぱり「美」っていうのは素敵な考え方だと思います。その言葉の奥には愛の固まりが存在しますから。美しさを感じていること自体が愛なんです。美しいと思ううちに、気づけば愛に変わっていることがありませんか?

 

小松美羽サブ

小さな頃からずっと探していた線と出会った

私の原点は城下町にあります。今の私の人格や、作品を作る軸ができたのは長野県の坂城です。幼い時からずっと絵を描くことは好きでした。動物が大好きな子供だったので、動物図鑑を見て絵を描くことが多かったです。版画と出会ったのはまだまだ先で、上京して美大に入学してからです。子供の頃からずっと探求していた線にようやく出会えたのが銅版画でした。幼いころから、「この線はどうしたら出せるのか?」と意識せずにずっと考えていました。版画に出会った時は、「探してたのはこれだ!」とテンションが上がりましたね。

作風は大人になって急に出来上がったものではなく、日々の生活の中で生まれたものだと思います。死生観を表現し始めたきっかけも、昔よく飼っていた動物達の死を見る機会が多かったからです。私がメディアに取り上げていただくきっかけになったのは、作品「四十九日」が評価されたことです。四十九日って、心から悲しんでいる人もいればただの義理で来ている人もいて、人によって違うじゃないですか。身内からしたら四十九日ってとても大切な日だと思うんですけど、他人からしたら普通の日だし。ちょうど境目にあるなって思ったんです。

死は美しいと思います。土に帰ることができる唯一の方法ですしね。地球が美しくいられるのは、死があってこそだと思います。だから私は「死」というものに対してネガティブな印象はありません。私がマイナスを表現する時は性欲を描くことが多いです。だから、性欲や欲望からつながった死は醜い表現になります。逆に、死の中でも六道輪廻や四十九日に関するものは美しく死を表現します。 今の私に求められていることは、たくさんある絵の中から私の作品を選んでくれる人の為に、よりかっこいいと思ってもらえるものを生み出すことだと考えています。単なる遊びとか、ストレス発散のために描くのではなく、一つ一つが勝負なんです。だから、100年後まで私の作品が残るということを考えると、耐久性のある素材を選ぶ必要があります。そういったことも含めて、最初から最後まで全てに関して責任をもって描かないといけないと思っています。これはただ私が楽しみにしているだけなんですけど、私が死んだ後でも皆さんに楽しんでもらえるような絵を描きたいんです。200年後、私が死んだずっと後に私の作品が有名になるとするじゃないですか。その時に、「実はこの絵の裏にはもう一つ絵が描かれていた!」みたいな発見をされたり。死んだ後にもう一度、「小松美羽は何者だ?」って言われたい。専門家たちが研究したくなるような、そういう存在になりたいんです。こんなことになったら、死んだ後でも楽しめますよね。これ本気なんですよ。

小松美羽サブ2

作品製作以外の時間も重要

今後は、日本だけにとどまらず世界規模で活動していきたいです。もともと、作品を製作する時はあんまり悩まずに割とバッて行動するタイプだったんですけど、最近は出来るだけ考えるように意識しています。そんな風に意識するようになったのは、ニューヨークから帰国してからですね。ニューヨークで様々なものを見る中でコンセプチュアルアートを見ました。その時にコンセプトって重要だなと思うようになりました。描く側にとって重要なのは当たり前ですけど、見る側にとっても同じように重要なんだって気づいたんですよね。だったらしっかり勉強しないとな、と思いました。作品のテーマが決まったらその現地に行って、描きたいと思う樹があったらじっくりと観察して触れてから描くようにしています。なんでこの樹に魅力を感じているのかを第三者にしっかりと説明できるように書き出したり。やっぱり日本だけで終わるようなアーティストにはなりたくないですし、海外では作品の説明も英語でしないといけないじゃないですか。その時、流暢に説明できたら勉強のし甲斐もあると思うんです。絵を本気で愛していないと、上手に説明なんてできませんよね。だからこそ、作品製作以外の時間も大切に使う必要があるんです。

茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」っていう詩をそのまま丸々座右の銘にさせていただいています。夢を諦めてるのは自分自身だよ。思うようにいかなくてイライラするのも自分のせいなんだよ、というような内容です。だから、夢は絶対に捨てませんし、継続することが重要だと考えています。